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11月 神のなさることは、すべての時にかなって美しい。

「神のなさることは、すべての時にかなって美しい。」

    伝道の書 3章11節


 

新共同訳という訳の聖書では、「伝道の書」は「コヘレトの言葉」という名前の書です。そこでは、「神はすべてを時宣(じき)にかなうように作り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されない。」と訳されています。

 

永遠を思う心とは、自分自身からちょっと離れたところから、自分のこと、世界の本質を見ることのできる心のことだと思います。

 

人類が宇宙に旅をするようになって半世紀近くになります。宇宙時代の初期、宇宙に飛び出した飛行士の多くが、地球にもどった後、宗教的な体験を語ったり、キリスト教の伝道者になっているのをご存知でしょうか。青い地球の美しさに感動し、地球の真っ暗な夜の側と、太陽の光を浴びて輝く昼の側をぐるぐるとめぐる体験は、それはそれは感動的でしょうね。

 

でも、夜の真っ暗な空から地球を眺めると、いたるところに光が小さな小さな花火のように点滅しているのが見えるのだそうです。そして、その光は、目の前で起こっている戦争で使われる砲弾の爆発する様子だったのだそうです。

 

外から見るといいようもなく美しく、荘厳な地球の姿の中に、人間が殺しあう形跡が手にとるように見えるのだそうです。それを目撃した多くの宇宙飛行士たちが、神の創造の偉大さと調和に圧倒され、それに気づくことなく傷つけあい、憎みあう人間の思いの小ささを思い知らされるのだそうです。そんな時、人々は永遠を思う心に気づいたのでしょう。

 

私たちの生活、子育ての中でも目の前のことに心を奪われて、自分とそして愛する子どもたちの命の尊さ、美しさに気づけないでいることの、なんと多いことでしょう。「神のなさることは、時にかなってすべて美しい」と感じることのできる心を見に纏いたいものです。

(こども園宗教主任荒谷出)