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11月「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」

 伝道の書 3章11節


受け入れがたい苦しみや悲しみに遭遇する時、それが神様のなさることとは思えなくなってしまうことは多々あります。東北の震災の後、ある少女がローマ法王に手紙を書いたそうです。「法王様、私の大切な家族、友達がたくさん津波に飲み込まれて亡くなりました。本当に神様がおられるのなら、なんでこんな悲しいことを引き起こすのですか?」ローマ法王の答えは、「私にもわかりません。でも、悲しみに沈む人々のために、私たちも共に悲しみ、祈っていることを忘れないでください。」という内容のものだったそうです。

 私たちの人生に起こる様々な出来事は、私たち人間には決して理解することのできないものばかりです。そして、私たちの命も、世界の存在も、けっして人間が中心ではないということだと思います。そんな現実の中で、人は普遍の真理に思いをはせ、知恵を発見します。

「苦しみを超えて」という有名な祈りの一部を紹介します。

『より偉大なことをできるように健康を求めたのに、よりよいことができるようにと病気を戴いた。

幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、神を求め続けるようにと弱さを授かった。人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと命を授かった。求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。』

 コロナウィルスに振り回される毎日が続きます。こどもたちとご家庭の皆さまのご健康、心よりお祈りしています。

 

こども園宗教主任 荒谷出