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12月「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

今月の聖句 12月

 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

ルカによる福音書2章11節

 


クリスマス・メッセージ~神さまのユーモア~

  クリスマスは、イエスさまのお誕生を祝う礼拝です。イエスさまが生まれた2000年前のユダヤの時代状況は、どこか私たちの社会状況と似ていました。大きな戦争は無かったものの、みんな生活に追いまくられて精神的にも余裕が無く、身体を壊したり病気になったりした人が多くいました。そんなすさんだ世の中で、人びとは力強い指導者を求めていました。何とか今の社会を変革し、私たちの苦しみを取り去ってくれるような指導者が出てきて欲しいものだと。当時のユダヤには、そんな「メシア」つまり救い主を待ち望む信仰が次第に強くなっていました。

  さて、ここで神さまはちょっとしたユーモアを用意しました。それは救い主を赤ちゃんとしてこの世に送り込むという計画でした。 「救い主と言えば、やっぱり力強く我らを導き、神の力をもって、群がる敵を打ち散らし……」と、救い主はこうでなくっちゃならんとみんなが思っているところに、やってきた救い主はなんと「赤ちゃん」でした。世話をするマリアとヨセフも大変だったことでしょう。なにしろ、この若い夫婦ははるばる旅をしてきたにもかかわらず、「彼らの泊まる場所も無かった」のです。出産間近の大きなおなかを抱えた妊婦が旅をしてきたというのに、「どうぞこの部屋をお使いください」と言ってくれるような民家も無かったのです。そんな思いやりのひとつもないまでに冷たい世の中であったということでしょう。この出産を控えた若い夫婦は、誰からも人間として大切にされず、人間扱いされていませんでした。しかし、誰からもその存在を歓迎されなかったこの若い夫婦を最も必要としたのは、生まれたばかりの赤ちゃんでした。赤ちゃんは泣きわめき、おっぱいを求め、だっこを求めたことでしょう。マリアとヨセフが守り、世話をしなければ、この子は死んでしまいます。なんと弱々しい救い主。しかし、その泣き声に隠されていたのは、「あなたが必要だ!」というメッセージそのものでした。 「あなたがいなければ、私は死んでしまう。私にはあなたが必要だ。あなたは私にとって大切な人だ」そう赤ちゃんは叫びつづけています。

誰からも見放された若い二人マリアとヨセフが、その孤独とむなしさから這い上がることができたのは、あるいは這い上がらずにおれなかったのは、そんな小さな自分をも必要としてくれる、さらに小さな弱い存在が現れたからです。もはや二人は誇らしく感じていたかもしれません。二人は、自分たちがこの子にとってかけがえのない存在であることを確認できたからです。

救い主がなぜ赤ちゃんの姿でやってきたのでしょうか?それは、このすさんだ世の中で、自分が誰からも必要とされず、生きていることに何の意味が無いように感じる、そんな状況に置かれた人間に、どうやったら「あなたが必要だ」「あなたに生きていてもらいたいのだ」と伝えることができるだろうかと、悩みに悩んだあげく思いついた神さまのすばらしいアイデアでした。

  「そうだ! 私が赤ちゃんになって、生まれてやろう!」と。そして私たち一人ひとりに神さまからの大切なメッセージが届きました。「あなたは一人ではない。私にはあなたが必要だ。あなたは私にとって大切な人だ」と。それが神さまの計らいでした。

  というわけで、今年のクリスマスも、心の中に生まれたばかりの赤ちゃんイエスが力いっぱい泣く姿を思い描きつつ、私たち人間を愛するあまり赤ちゃんになってこの世にやってきてくださった神さまの、そのあふれる思いを、しっかり受け取りつつ、ご家族で良きクリスマスをお迎えください。

園長 押川幸男 

 

 



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