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7月「初めに、神は天地を創造された」

初めに、神は天地を創造された。

創世記 1章1節


 聖書の誤解によくあるものに、聖書は、実際に起こったことを伝えているのだということです。聖書が形成された時は、いにしえの昔、紀元前のことです。天地創造の物語も、もしかしたら紀元前何千年もの昔から人々の間に言い伝えられてきたことが、しだいに聖書の形になっていきました。何千年も前、人々は地球が丸いことなんか知りませんでした。地の果てまで行くと、そこには大きな滝があって、奈落の底に流れ込んでいると考えていました。この世界は、巨大な亀や巨大な象のような生き物が支えているに違いないとさえ考えていました。イスラエルの人々だけではありません。どの民族の歴史を見てもそういう想像で人々はこの世界を理解していたのです。
 それでは、聖書は何を伝えているのでしょう。何千年昔でも、そして今でも、人は自分の存在の意味、生きることの意味について悩みます。自分なんて生まれてくる必要なかったんじゃないだろうか。自分なんていてもいなくても、誰も気にも留めないのではないだろうか。いったい、いつかは必ず死ぬのであれば、生きることの目的は何なのだろうか。この問いは、普遍の問いです。生きているかぎり、そしていつの時代でも私たちを悩ます共通した問いです。
 神様はこの世界を創られた。そして神さまはそれを良いものとして祝福された・・・・。この物語は、「そうだ、だから私も神さまから望まれてこの世に生を受けたのだ。人が何と言おうとも、神さまは私の存在を喜んでくださっているのだ」という思いを私たちに与えてくれるのです。それは生きていくために必要不可欠な希望であると思います。子どもたちが、神さまに愛されていることを心の一番根底にしっかりと記憶して成長してくれることを願っています。

荒谷 出:こども園宗教主任