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11月「神のなされることは、みなその時にかなって美しい」

神のなされることは、みなその時にかなって美しい。
伝道の書 3:11


 「伝道の書」という旧約聖書の書物は、現在多く使われている新共同訳聖書では、「コヘレトの言葉」という書物です。旧約聖書の中に「箴言」ということわざ集がありますが、この伝道の書もそうしたジャンルの書物です。
 「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」という言葉で始まるこの祈りとも取れる文書は、仏教の思想にも通じるものがあるように解釈する学者もあります。人生の意味、悲しみや苦しみの意味、そして人間すべてが向き合う「死」の意味を探しながらも、答えはどこにも見つけることができない。探せば探すほど、人間の命の儚さばかりを知らされるという内容が、切々と書かれています。
 それは、私たちが皆人生の中で経験する人間世界の不条理について語っています。災害があったり死や不幸があると、人はその理由を知りたく思います。そしてしたり顔でその原因を教えてくれる思想や宗教に、藁をもつかむ思いですがりついてしまうこともあります。
 でも、最終的には、人間には何も理解できない、神の存在も、死の意味も、人生の意味も、考えれば考えるほど、神様に信頼して前に進むしかないのだということだと思います。
 「人間には何もわからない」、これが基本的な宗教の出発点であり、それは聖書だけではなく、多くの普遍的な宗教に共通する理解だと思います。

こども園宗教主任:荒谷 出