2月の主題 育ちあう(3歳以上児)/ ともだちと(3歳未満児)
2月の聖句 御言葉を行う人になりなさい。(ヤコブの手紙 1章22節)
2月の讃美歌 みみをすまして(3歳以上児)/ あんなちいさなつぼみのなかに(3歳未満児)
育ちあう・ともだちと
♪庭の木の枝よく見ると固い殻に囲まれた小さな木の芽が見つかった 寒い寒い冬でも負けるな負けるなと 守って下さる神様♪ この讃美歌は 1
月の讃美歌として子ども達に提供した「幼児讃美歌Ⅱ」の「まもり」と言う讃美歌です。この季節に欠くことのできない私の大好きな讃美歌でもあります。「寒い、寒い」と身を丸めている私達ですが、ふと目を向けた先には、春を待つ小さい木の芽をしっかりと固い殻が守っている=私が共にいるよ、春はすぐそこだよ=「負けるな、負けるな」と言う穏やかな優しい神様の声が聞こえてくるようです。どんな過酷な時でも神様はそれを乗り越える術をいつも備えていて下さる。感謝です。そして寒くても元気に戸外に飛び出す子ども達の存在のそのものが、「寒い、寒い」と体を丸めている私達大人には、「小さな木の芽」であることにも感謝です。
今 3 歳以上児の子ども達は良いことも悪いことも含め、互いが互いの存在を一番必要としている育ちあいの時期です。年齢なりの関わりの中で互いを認め合うこと、提案したり譲り合ったりしながら一緒に切磋琢磨すること、お互いがかけがえのない存在として在る共に生きる生活を通して育ちあう経験を重ねて欲しいと願います。
自己主張をしてぐずったり、些細なことでトラブルも起きる未満児ですが、それでも「自分の思いもあるけれど、やっぱり皆と一緒が楽しいの」と相手に合わせて関わろうとする「ともだち」と呼べる存在の意識や関係が見え隠れしています。一人一人の思いも大切にしながら皆と一緒が楽しいと共有できる時間をゆったり支え重ねて行きたいと思います。
それぞれが寒さの中でも神様の大きな愛の中に共に在ることに感謝し、頼り頼られる存在として共に歩む仲間としての時を紡いで欲しいと思います。
ハレルヤ通信 2月号
寒波の到来での大雪は、皆様のご家庭ではいかがでしたか。被害などはありませんでしたか。数年前の大雪の後遺症でしょうか、職員それぞれがきっと気合を入れて早起きし出勤してくれたお影で、子ども達が登園するまでにはすっかり足場の準備が整っていました。朝の凛とした空気の中で気持ちのよい汗を掻きました。登園した子ども達は見渡す限り白一色の園庭で、心ゆくまで雪遊びを存分に楽しみました。今回は、幼児教育の創始者日本のフーベルと称された倉橋惣三の著「育ての心」からの短編を記します。
「2月」
寒い空が雪となった。埋めて白く、どこを道ともわかち難い。その雪の上を、難儀がるのは大人たちである。喜々として喜び走っていくのは子どもたちである。子どもには何でも楽しくないものはない。何ものにも、新しい興味と勇ましい気力とを喚び起こさずにはいない。何ごとに対しても、苦にしたり、しり込みしたりしない。おとなが、寒さに震えて冬籠るこの二月こそ、子どもとおとなとの違いを、しみじみ思わせる月である。それにしても、子どものお陰でこそ、二月の雪も、さえざえとよろこんでいることであろう。苦しい世の中がおとなばかりだったら、二月の雪も、これはたまらぬといじけふるえてしまうことであろう。
「驚く心」
おや、こんなところに芽がふいている。畠には、小さい豆の若葉が、えらい勢いで土の塊を持ち上げている。藪には、固い地面をひび割らせて、ぐんぐんと筍が突き出てくる。伸びてゆく蔓の、なんという迅さだ。竹になる勢いの、なんという、すさまじさだ。おや、この子に、こんな力が。・・・・
あっ、あの子に、そんな力が・・・・驚く人であることに於いて、教育者は詩人と同じだ。驚く心が失せた時、詩も教育も、形だけが美しい殻になる。
園長 白石由紀子