「成長させてくださったのは神です。」
コリントの信徒への手紙Ⅰ13:6
自分を育ててくれた親を敬うことは、自分の命の大切さに気づくことでもあると思います。命の重さ、大切さが、忘れられてしまっているかのように感じる世界にあって、自分の命を生み出した存在に思いを馳せることは、つまるところ、平和を大切にする心にも連なっているのだと思います。
命が大切にされない状況って、世界をどんな形で蝕んでいるんでしょう。人の命が容赦なく奪われる戦争や争いは言うまでもありません。でも、直接戦争を起こしたり、人と争ったりしていなくても、命の大切さを忘れてしまったら、命が奪われている出来事に対しても、何も感じなくなってしまいます。それを許してしまうことになると思うのです。
世界中には食べ物が溢れています。地球上のすべての人が、豊かに暮らすだけの神様の恵みの食べ物があるのに、現実には、地球上の8割近い人々が、貧困の中に閉じ込められ、飢えたり、病んだりしています。そして、必要もないのに、ほとんどの食べ物を、世界のほんの一部の人々が、消費したり、消費できないままに捨てたりしています。
でも、そうした食べ物や品物を生産しているのは、それらを食べたり使ったりすることを許されないほどの貧困に閉じ込められた人々の場合がほとんどです。日本に暮す私たちのほとんどは、その世界の一握りの豊かな人々の側に属しています。
カカオ豆を毎日毎日収穫させられている、学校にも行かせてもらえない子どもたちが、チョコレートを聞いたことも見たこともないのをご存知ですか?
そんな世界の状況も、命の大切さを忘れた心には、何も感じさせないのだろうと思います。命の大切さを、小さな子どもたちの心の中に育てる教育の大切さを痛感いたします。お父さん、お母さんに感謝する心は、すべての人に与えられた命に感謝する心として育ってくれることを願います。
荒谷 出:こども園宗教主任