今月の聖句、意味はわかりますが、その実践を考えると、なかなか難しいですね。人の痛みを共感できる人は、本当はなかなかいないのかもしれません。でも、争いや対立、社会の弱者が軽んじられる現実が変わるとしたら、まさにこのような心、思いが多くの人々の心に芽生えた時にこそ、実現するのだと思います。でもどうやって人の痛みを本当に共有できるでしょうか。私たちは自分のことで一杯一杯の毎日じゃないでしょうか?
「幸いなるかな、貧しい人、神の国はあなたのもの」というイエスの言葉をどう理解して良いかわからないと、マザーテレサに問うた人のことを聞きました。その質問に対して、マザーは満面の笑みで答えたのだそうです。「その質問は、今の世界で最も大切な問いなんです。貧しい人、悲しんでいる人、傷ついている人、それはあなた自身を指しているのですから」。
自分の中にも貧しさがあること、悲しみがあること、痛みを負って生きていること、そのことに気づき、その自分をも愛してくださる神様に出会う時、人は初めて喜びを分かち合い、悲しみを共有できる存在になれるのだと、マザーは言ったのだと思います。そんな神様との出会いが、こども園の一人一人の心に起こることを心より願っています。
荒谷 出(こども園宗教主任)