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12月「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」

「見よ、男の子が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」

マタイによる福音書1:23

 


 

「インマヌエル」とは神さまがいつも私たちと共におられるという意味です。マタイによる福音書がクリスマスのお話の中で私たちに伝えようとしていることの、一番中心となるメッセージです。「いつも共におられる」ということは、旧約聖書の伝える神ご自身の名前にも通じるものがあります。出エジプト記のモーセの物語の中で、神さまはご自身のことを、「私はある」という名前の神であると語られます。「私はある」とは英語で「I am.」であり、存在するという意味です。その中には、わたしが存在するということは、あなたが存在することの理由でもあり、あなたをあなた自身とする本質が「わたし」なのであるという意味です。

 

 こう説明すると、何か分かったようで分からない感じですね。マタイのクリスマス物語は、ヘロデ王によるユダヤの男の赤ちゃんの殺戮という陰惨な出来事で終わります。イエスの誕生の直後、マリアとヨセフは赤ちゃんイエスを連れて、ユダヤから逃れ、砂漠を旅してエジプトに身を寄せなければなりませんでした。難民として、ホームレスとして過ごしたのです。そして外国の地によそ者として生活しなければならなかった彼らと、いつも共にあり、彼らの苦しみ、悲しみ、不安を共に生きる、そのような神であるというメッセージでもあるのです。

 

私たちの社会に暮らす声なき人々、小さくされた人々と、神さまは共に泣き、共に喜ぶ方であるということにもなります。私たちは、そうした人々の存在に目をむけ、そうした人々に寄り添う思いを持つ時にこそ、「インマヌエル」の神さまとの出会いを与えられるのではないでしょうか。こどもたちと迎えるクリスマス、そうした心を大切にする時としていただけることをお祈りしています。    

こども園宗教主任 荒谷出