「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。」
詩篇 19編2節
僕は、5才~18才まで群馬で育ち、その後25年以上たってから、再び群馬に住むようになりました。中学、高校と富岡市から自転車でお隣りの安中市にある学校に通いました。毎朝夕、山を乗り越えて隣町までの通学です。途中の高台では、荒船山、妙義山、浅間山、榛名山を一望することができました。広い広い空の下に、囲みこむように聳え立つ山々に、いつも感動していました。
前橋からは少し違った景色が見えます。赤城山がすぐそばで、やはり周りを多くの山々に囲まれています。富岡から見えていた景色に加え、赤城と榛名の間には、遠く苗場山、谷川岳と越後の山々が雪を抱いて燦然と輝いている、そんな冬の景色が大好きです。東に目を移せば男体山から始まる山並み、西はこども時代に毎日眺めていた浅間周辺の山々に加え、八ヶ岳連邦も見えています。冷たく空気の澄み渡った冬の夕暮れ時、その山々が真っ赤な夕焼けをバックにそのシルエットを浮かび上がらせる景色の美しさには、いつも言葉を失います。
学生時代、都会の真っ只中で育った友人たちにしばしば言われました。「お前、なんか俺たちと違うな。どこかの~んびりしとる!自然の中でのんびり育ったやつには、都会育ちの毒気があれへん。ええなあ!」褒められてたのか、馬鹿にされてなのか、半分半分だったような気もします。でも、たしかにこの大自然に、僕の心はいつも癒されていました。惨めなセルフイメージに苦しみ、くよくよする毎日を過ごしていたのに、でも、大きな大きな何かに包まれ、支えられて育ったようにも思います。
詩篇の作者も、イスラエル民族の歴史の中で繰り返される苦悩の連続、いつまでも続く不安と絶望の現実の中で、それでもこの世界を見守り愛する神様のことを、大自然の美しさの中に発見し、新しい希望と勇気を見出していったのだと思います。こどもたちが、そんな大きな大きな神様の愛を、いつも心に感じながら成長していってくれることを、心より願っています。
荒谷出(こども園宗教主任)