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12月 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」

 ヨハネによる福音書 3章16節



 

クリスマスのシーズンが近づいていますね。神様がたった一人の子を私たちにお与えになったということが、クリスマスのテーマです。ヨハネによる福音書は、それを神が肉(人間の一人)として生きたと表現します。どういうことでしょう?

 

摩訶不思議な出来事として、絶対の神が人間になってみせたということなんかじゃないと思います。そうではなく、神は痛みや悲しみ、不完全、不条理の中で一生懸命に生きている私たちと同じ、弱さを知る存在なのだということだと、僕は思います。

 

それを別の形で伝えているのが、クリスマスの物語です。マリアとヨセフは、当時の社会では、誰からも遠ざけられ、切り捨てられる状況に生きていました。結婚もまだしていないのに、赤ちゃんがおなかに宿っていることは、当時の社会では死罪にあたる罪でした。ですから、月が満ちた時にも、誰も彼らを助けようとしなかったんだと思います。小さなベツレヘムという村の中でもおよそ赤ちゃんを迎えることなんか考えられないような家畜小屋のえさ箱しか与えられませんでした。イエスさまはそんな状況に生まれたのだというのです。

 

救い主の誕生を知らされたのも、当時の社会で一番身分の低い、時には人とも認められないほどの差別の中で生活していた羊飼いたちだけであったと、聖書は伝えます。神さまが、私たちの一人として生きたというクリスマスの物語は、私たち人間の弱さ、悲しさ、痛みを生きる人すべてに寄り添う存在として来られたということなのです。

 

年長さんたちが今年も降誕劇(ページェント)を演じます。こどもたちと一緒に、聖書の伝える本当のクリスマスの意味を振り返り、やさしさや、思いやりを大切にする思いを育てる時となることをお祈りしています。                        

(こども園宗教主任)