「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」
コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章27節
コリントの信徒の手紙の有名な個所が今月の聖句です。とても分かりやすい箇所だと思いませんか?中学生や高校生も、小学校の時に読んだことがある、金子みすずさんの「みんな違って、みんないい」という詩を思い出す人が多いからす。
聖書に書いてあることは同じことなんでしょうか?実はちょっと違う部分もあるんです。この手紙を書いたパウロという人は、この個所に続けて、「それどころか、弱い部分こそが必要なのです。」と書いているんです。いいところだけでなく、人に自慢できないこと、ないほうがいいと感じる部分でさえ、それは必要なんだというのです。弱いところがあるからこそ、人はいっしょに生きることができる、だからこそ、人の痛みを理解し寄り添うことができるのだという思想です
私たちが暮らす現代社会の思想って、どんなでしょうか。予想不可能な未来に備えて生き残る力をもった人材の育成が、そこらじゅうで叫ばれるようになってきました。なんでもできる人、万能人間、適応力をもった人、幅広い人間力・・・。でもその背後にある思想が、僕にはとても気になります。生き残る力を培うことが強調される中で、生き残れない人、ついていけない人、弱さをもった人々の姿が、今の社会の追い求め、期待する人間像の中に見えてこないんです。
本当は、共に生きる力、人間の本来持っている弱さ不完全さを理解する知恵こそが必要なのではないでしょうか。これからの社会で、ますます必要とされる知恵はこれだと感じます。
聖書にはそうした知恵が満載です。聖書の思想を大切に、こどもたちの成長をお手伝いする共愛こども園の目指すところを、ご家庭の方々もご一緒に担っていただけること、心より願っています。
(こども園宗教主任 荒谷出)