2月の主題 協力する:3歳以上児 広がって:3歳未満児
2月の聖句 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
コリント信徒への手紙Ⅰ 12章27節
2月の讃美歌 全園児:「まもり」
3歳以上児「かなしいことがあっても」、3歳未満児「いちねんじゅうは」
2月 協力する・広がって
2月が始まりました。暖冬でも早朝の空気は凛として冷たく、厚手の上着が必要です。それでも30分も歩くと身体がぽかぽかと暖かくなり上着が邪魔になり、改めて今年の暖冬を知らされました。すでに蝋梅の花も開花しその香りを放っています。例年なら厚い氷に覆われているはずのプールも今年は1回しか氷が張りません。こども園の園庭にこの季節に並ぶはずの氷を作るための器の姿も見られません。その代り泥団子の姿がここかしこに潜んでいます。長縄に興じる子ども達やお散歩から帰園した子ども達の額には汗が滲んでいます。春は思いのほか早くやってくるかもしれませんね。
未満児は、神様や保育者や友達と一緒の生活や遊びが深まり、まねっこ遊びを繰り返したり、自ら友達と同じことを楽しんだり、一緒に遊ぶことを楽しんだり、順番を待つこともできるようになり遊びが「広がって」いきます。そんな一人一人の成長を繫なぐ保育をと願っています。
以上児は、大きくなっている、大きくなったという力や自信を様々な活動への取り組みに展開したいと思います。物を見立てて遊びのイメージを持つ、友達と遊びながらイメージを共有する、同じ目的をもって遊びを深めていくという過程の中で、一人一人が神様から与えられた賜物を生かし合い主体的に考えたり、試したり、工夫したり、表現したりしながら、仲間やクラスの活動の中で友達を認め合い(良い部分、そうでない部分)信頼し合って、「協力する」という互いの力を紡ぎ合わせる保育を大切にしていきたいと思います。
ハレルヤ通信 2月号
私の早朝の一番の仕事は、愛犬の散歩と洗濯物干しです。本来なら大寒から立春までのこの季節は一番早朝の寒さが身体に応えるはずなのですが、今年はそんな気配も無く上着を「どうしたものか」と考えてしまう日さえあるのです。テラスから望む赤城山の雪景色さえ「お久しぶり」なんて声をかけてしまう程なのですから・・・。暖冬なのですね。雪になると「寒い」「足元が」なんて呟いてしまう私ですが実はその寒さが、その雪が、極寒から木や草や田畑の植物を守っているという自然の営み、良き悪しきも良きに変えて下さる神様の業の深さを知らされ、頭を垂れるものです。
3学期もあっという間に早中半、進級や進学が見える形で迫ってくる季節に入りました。特に年長児初めてというお家の方々はご心配なことも多いのではないでしょうか。すでに1児の父親になっている長男は、園の友達が「お早う」と声をかけてくれても、その友達を遠回りして登園するような消極的な子どもでした。キリスト教保育をとの両親の考えで地域外の園に通園していましたので、小学校は全くの見ず知らずの友達との関係づくりからの出発になります。両親としては自分たちの蒔いた種なのですが、上手く友達の輪の中に入れるのだろうかとの不安でいっぱいでした。よく笑い話の種にしてしまうのですが、小学校の体験入学の日のことです。小学校入学のための準備を自分の名前が読めて書けることしかしていなかった母親は学校に向かう道々、知能検査を受ける長男のために、知能テストの説明をしたのです。「学校へ行ったらお母さんとは別々になって、クラスを決めるために知能検査をします。怖がらなくても大丈夫。鉛筆を使ってあなたの思うように〇や×を書いたらいいからね。」と。そして、その帰り道のこと「お母さん、僕お母さんに言われてどんなふうにして血を取るんだろうってすごく怖かったけど、血、取られなかったよ。」と長男の言葉。長男は、私の説明を知能検査→血の検査と解釈していたのです。そんな長男ですが、入学した初日、心配して帰りを待つ私の目に入ったのは、なんと親友第1号を得て嬉々として下校する息子の姿でした。そして、そのことは私に子どもには子どもの世界があること、子ども自身の力を信頼することを確信させられた瞬間でした。母親業は完璧では無かったけれど、誰よりも愛おしんで育てた自信があれば何があっても大丈夫と信じられた瞬間でもありました。遠い昔のお話です。
園長白石由紀子