「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのです。」
ペテロの手紙Ⅰ 4章10節
神様からのプレゼント(賜物)って何でしょうか?こどもたちも、私たちも、皆一人一人神様から賜物を授かっているという聖書の言葉、その賜物ってなんだか知りたいですよね。
何か良いものでしょうか?人に自慢できるものでしょうか?誰でも「すごい」と言うだろうものでしょうか?
聖書の中で、イエスもそしてイエスの弟子たちも、いつも私たちが日常の常識として感じていることをひっくり返します。私たちの「思い込み」を、根底から覆すんです。
何か良いものをいただいているはずだ。でもそれが何だかわからない。自分には特別なことは見当たらない・・・。誰とくらべても自信ない・・・なんて思ってませんか?
「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」という聖書の言葉、聞いたことある方もおられると思います。
神様はどんな時にも希望を与えてくださる。つまり「賜物」を用意してくださるということだと思います。希望は闇雲に現実に目を向けずに何かを夢見ることではないと思います。確固たる根拠があってこその希望に確信が与えられるのだと思います。
それでは、その根拠とは何でしょうか?この希望についての聖書の言葉は、パウロが書きました。彼にとっては、それは復活のキリストとの出会いであり、自身の痛み、苦悩の中にあってもイエスに見いだされたという彼の信仰の原体験だと言えます。言葉を変えて言い表せば、それは「愛されていることの経験」であるように感じます。
共愛学園こども園に集う一人一人が、人生の様々な壁にぶつかる時、(現在のコロナによる不安もその一つだろうと思います。)、それでも自分が大切にされている、愛されているという経験の中にあってこそ、その向こうに確かに存在する「希望」に信頼する思いを得るのだと思います。そのような心の礎を、こどもたちが獲得する機会を提供しつづけるこども園でいられること、この先行きの見えない現状の中にあっても見失わない私たちであることを願います。
宗教主任 荒谷出