「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
テサロニケ信徒への手紙 5章16~17節
コロナウィルス感染が、いよいよ身近の生活にも影響を及ぼしつつあるように感じます。2月に始まって、半年以上が経って、何か少し遠のいたように感じてしまうくらい、最初の緊張とくらべて日常の生活にはあまり劇的な影響がなかった方が多いのかもしれません。でも、これからいよいよ、本当に感染を注意し、手洗いやマスクや検温も、いつ何時という緊張感が増してくる時期に差し掛かっているように感じます。
そんなパンデミックの嵐の不安と不便さが取り巻く日常から感じます。いつも喜ぶって、どういうことでしょうか?どんな時にも、うれしい気持ちになりなさいってことでしょうか?絶えず祈るってのも、なかなか理解が難しいですね。そして、どんなことでも感謝するとなると、無理!という思いがすぐに湧いてきます。英語で、putting in a perspective. という表現があります。視点を変える、つまり見方を変えるということです。
コロナのせいで、人と会う機会が減りました。めぐみ会も開催の是非でいろいろ検討しなければならないことも多いと思います。でも先日Zoomで行ったところ、普段とは違う分かち合いができました。いつもだったら忙しくて参加できない人も、園までこなくても参加できました。高校では、アメリカやルワンダの人々と対話するような企画ができました。僕自身もアメリカの教会の牧師ですが、長年会えなかった友人たちの集まりに、Zoomで参加できるようになりました。見方を変えると、人と人とのつながりの大切さや、お互いを思いやり気遣うことの意味について、これまであまり向き合わなかったことに気づかされます。
こんなパンデミックの最中でも、そうしたつながりの大切さを喜ぶこと、祈りをもってお互いの立場を理解し、支え合うこと、そして、そのように気づきに感謝することもできるのだと気づかされます。今月の聖句、そんなことを教えてくれているように思います。
(こども園宗教主任 荒谷 出)