「愛は、すべてを完成させるきずなです。」
コロサイ信徒への手紙 3章14節
今月の聖句のすぐ前の記事は「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、哀れみの心、自愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。」という言葉が記されています。
あなたがたは皆、神様に愛されているのですからということが、この聖書の記事を書いた使徒パウロのメッセージのポイントです。
個性や、価値観、得意なこと、育った環境、全部違っても、私たちは皆、同等に神様に見出され、そして愛されている、大切にされている存在だということを、すべての前提として知りなさいということだと思います。
だから、私たちは、自分がどう思おうとも、神様の目の中には、同じ仲間、共に生きる存在なんです。
今月の聖句の大切なところは、私たちが愛したから、努力したから、私たちは仲間として一つになれるということではなく、不完全で欠けた存在である私たちでも、皆、神様に愛されているということなんではないでしょうか。
赦せない、理解できない、認められないと私たちが悩んだり、拒んだりしたって、神様からしたらそんなこと関係なく、どの命も尊く大切なんだということです。そのことに気づく時、いろんな思いにとらわれる私たちですけれど、それでも私たちが出会うすべての人々と、私たちは共に生きねばならないつながり(絆)で結ばれているということに気づかされるのだと思います。
僕はこの聖書の個所をしばしば結婚式の司式をする時に使います。夫婦も親子も、そして学校やこども園、職場でかかわりを持つ人々とも、私たちはそうした神様の愛によって繋がれているのだと思います。
こども園宗教主任 荒谷 出