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9月「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」

今月の聖句 9月

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」

ヨハネによる福音書15章12節

 


 感謝祭の起源は、今から約400年前のことです。1620年の秋、イギリスからアメリカに一艘の船が旅立って行きました。その船の名前は「メイフラワー号」。約100人の人たちが乗っていました。「アメリカに行けば、自由に神さまを礼拝できる」、そういう希望を持って、彼らはメイフラワー号に乗ってアメリカに旅立って行ったのです。

 9月6日に出発したメイフラワー号は、65日間もかかって、やっと、現在のマサチューセッツ州にあるプリマスという所に着きました。寒くても着る物がない。食べ物もなくなってくる。病気になる人も出てきました。そして、100人いた人たちの半分近くの人たちが、その冬死んでしまったのです。しかし、残された人々は「神さまは必ず助けてくださる、守ってくださる」という信仰を持って、様々な困難に耐えました。

 やがて春になりました。先住民の人たち、親切なインディアンの人たちがやって来ました。この親切なインディアンの人たちは、彼らに魚をとる方法や、とうもろこしやえんどう豆、小麦や大麦の種の蒔き方、育て方などを教えてくれました。

 ついに、秋になりました。どうなったでしょうか。とうもろこしはいっぱい実をつけています。小麦も豊かに実っています。自分たちの予想をはるかに上回る豊かな作物が出来たのです。彼らはとても喜びました。そして言いました。「さあ、これらのすべてをくださった神様に御礼を申し上げよう」。

 それだけではありません。「そうだ、私たちの友であるインディアンの人たちを招いて、みんなでお祝いしよう」と用意を始めました。親切にいろいろなことを教え導いてくれたインディアンの人たちと一緒に、そして、豊かな食べ物を与えてくださった神様に心からの感謝をささげ、収穫感謝の礼拝を守ったと言われております。これが、今も守られている「収穫感謝祭」の起源です。

 実は、この出来事の背後に一人の人物の存在がありました。その人の名は、スクワントさんです。インディアンであったスクワントさんは、1605年に捕らえられてイギリスに連れて行かれ、後に故郷に戻ることができました。しかし帰ってみたら白人たちのもたらした疫病や武器によって部族は死に絶えていたのです。どんなに無念だったでしょう。白人たちが彼の全てを奪い取ってしまったのです。ちょうどその頃、スクワントさんは、プリマスで試練の中にあったピューリタンの人たちと出会ったのです。自分を奴隷にし、部族を死に至らしめた白人たちです。黙って、横を通り過ぎて、見て見ぬふりをして、声もかけず、助けないこともできたでしょう。

けれども、スクワントさんは彼らの元に向かいました。英語のわかるスクワントさんが、彼らに魚の釣り方やトウモロコシの栽培の仕方を親切に教えてあげたのです。その土地で、生きる術(すべ)を十分に知っていて、しかも英語が話せるスクワントさんは、ピューリタンの人たちから見たら、まさに神様からの使い(天使)に見えたのではないでしょうか。こうして餓死寸前のピューリタンの人たちは生きる希望を与えられ、秋には思わぬ収穫が与えられ、インディアンの人たちを招いて食事を共にしたのです。ですから、スクワントさんの助けなしに感謝祭はなかったでしょう。

 スクワントさんの生き方は、イエス様の生き方を映し出しているようにも思えます。イエスさまは「あなた方も聞いている通り、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われました。さらにイエスさまは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」と言われました。感謝祭は、この敵を愛したスクワントさんの愛と献身から始まっているのです。

 共愛学園こども園の子どもたちも、お友だちとの交わりの中で日々神さまからの様々な恵みをいっぱい与えられていること、心も体も成長し、心身ともに実りを与えられていることに心から感謝し、「ありがとう」の気持ちをもって、日々の生活を歩んで欲しいと切に願っています。                   

 

園長 押川幸男 

 


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