
今月の聖句 4月
「あなたがたは神に愛されている子どもです。」
エフェソの信徒への手紙5:1
神様に愛されているとはどういうことでしょうか。キリスト教が日本に最初に伝えられ時、宣教師たちはこの「神の愛」という教えをどのように伝えようか工夫し、「神の大切」と訳したそうです。愛されるとは、大切にされているということだと教えたのは聖書の一番中心的なメッセージを的確に表現していたと思います。
問題は神様が大切にしてくださると言われても、自分はそれに値しないのではと思わせる様々なことが存在していることです。子どもたちがこども園を皮切りに小学校、中学校、高校、さらにその後の人生を歩んでいくなかで、次第に自分と他者をくらべて自分の評価を認識するようになります。運動ができたり、勉強ができたり、外見的な魅力が人よりあると思ったりすることで自分の評価を感じる習慣を身に着けてしまいます。逆に言えば、そうでない自分を発見することで、様々に傷ついたり、自信を喪失してしまうこともあるでしょう。
そんな一人一人の人生で、絶対に揺るがない礎は、たとえ人と比べて足りないと感じても、それでも無条件に自分を愛し、見守ってくれる存在だろうと思います。
聖書は神様とはそのような絶対的な礎として一人一人を大切に思われている、一人一人にかけがえのない価値を与えてくださるのだと伝えているのだと思います。
親行を経験して、どんな人生の苦境を体験しても、根幹のところで自分は大切にされている、自分は愛されているということを子どもの心の一番深いところに育てることがいかに大変なことであるかを思わされます。親も子どもに失望したり、自分たちの期待に応えさせようとしてしまうからです。子どもたちは敏感にそれを感じ取り、自分には価値がないと感じてしまうことも多々起こるからです。
神が愛であるとは、親もそのような愛をもって子どもを受け入れ、認め、大切にしていくことが重要であると教えらる言葉です。子どもたちがこども園でもそうした礎を築いていってくれることを願っています。
こども園宗教主任 荒谷 出
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