
今月の聖句 6月
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。」
マタイによる福音書7:7
「何でも神に祈り求めさえすれば与えられるなんて、キリスト教は人間を努力しない怠け者にする宗教です。」聖書のこの言葉を誤解してこう批判する人が時々います。
自分の願いを叶えて欲しいと思うのは誰にでもある自然な思いだとは思います。大きな悩みや困難を抱えていればなおさらです。日本人だってお正月には初詣にいったり、受験の祈願のためにお参りする人はたくさんいます。
そこからすると、先ほどの聖書は怠け者をつくるという意見からしたら、自分勝手な願いを神様がきっと実現してくれるなどは都合のいい神頼みでしかないということになります。
問題は何を求め、何を探すのかということなんです。今月の聖句の箇所をしっかとり読むと、イエスは直前の場面で「神の国と神の義をまず求めなさい。そうすればこれらのものはみな加えて与えられる。」と語っている箇所があります。マタイ福音書の中で、イエスが人間の心の平和、幸せ、そして慰めがどこにあるかについて教えているなかで、「求めなさい。そうすれば与えられる。」と語っていることに気付きます。
つまり、私たちに都合の良い結果や利益を求めることとは違って、神の義を求め続けなさいと教えているわけです。そして神の義とは、イエスの教え全体を振り返ると、人は一人で生きるのではなく、隣人と共に生き、そして隣人となる人の喜びはあなた自身の喜び、慰めとなるということであり、神様はそのような生き方を私たちに望まれるという知らせであると思うのです。それを望む生き方がつまり神の義を求めるということです。
子どもたちが子ども園での生活を通して、自分以外の人々、他者へのやさしさを聖書の言葉との出会いから身に着けて行ってくれたらなあといつも願います。キリスト教保育の願いはそこにあるのだと思います。
宗教主任 荒谷 出
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