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8月「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、 わたしもその中にいるのである。」

今月の聖句 8月

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。

マタイによる福音書 18:20



8月の聖句が記された聖書の箇所の直前に、イエスの教えでとても有名なお話が記されています。「迷い出た羊」のたとえ話です。ある羊飼いが100匹の羊を飼っていて、その1匹が迷子になっていなくなってしまったら、99匹を残しておいてもその1匹の羊を必死で探し出すだろう。そしてその喜びは何にもまして大きいのだというたとえ話です。

これは私たち一人一人と神様の関係をイエスは教えているのですが、同時に私たちの命は人と人とのつながりの中で初めて完全となるのだという教えでもあります。キリスト教だけでなく、多くの宗教が、人と人とはどう共に生きるのかという問いへの答えであると思います。

宗教というと度々、個人の信仰、個人の救いだけが強調されがちです。もちろん、人生に様々な悩みや痛み、不安がある時、人はそれから解き放たれたい、この苦しさから逃れたいと望むのは自然なことです。そして信仰することによってそれに対する解決を求めてしまいます。でも、聖書もその他多くの宗教も、個人の出来事としてではなく、そこに共に生きる人々の歴史、つまりそれぞれの民族や文化を共有する人々の共通の体験の中から生まれてきたものです。

聖書もイスラエルの人々の歴史の中で紡ぎだされた物語です。そこでは常に大国に支配されて、抑圧される人々がその苦しみからの解放を思い祈り続ける中で人間の命の意味、人は何故存在し、何故不完全なことに苦しみ、そして喜びはどこから来るのかという問いだったのです。

ですから、自身の慰めや心の平安は、決して共に生きる人々(共同体)とは切り離せないことを理解して考える必要があります。一匹の羊が迷い出れば、それは残された99匹の問題でもあるとイエスは教え、そして続けて、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」自分だけ幸せになれば、本当の幸せは訪れるのだろうか?そうではない、あなたのすぐそばに、悲しみや絶望に取り残されている人々がいるのなら、自分だけ本当に幸せになれるのだろうか?とイエスは問いかけていると思うのです。そんな人々のこともいつも考えることのできる心が、こども園の子どもたちの心に育つことを是非ご一緒に目指していきたいものですね。

 

こども園宗教主任   荒谷 出

 


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