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4月「安心しなさい。わたしだ、恐れることはない。」

今月の聖句 4月

安心しなさい。わたしだ、恐れることはない。

マタイによる福音書 14:27



4月の聖句が引用されている箇所は、マタイによる福音書のエピソードです。ある日ガリラヤ湖という大きな湖の沖で弟子たちが小船に留まっていると、イエスが水の上を歩いて彼らのところにやってきた場面です。弟子たちが恐れて「幽霊だ」と叫んでいる時にイエスが彼らに投げかけた「恐れることはない。」ということばです。そして一番弟子のペトロがイエスと同じように水の上を歩きたいと言い出し実際にイエスに近づくために水の上を歩きだします。ですが急に不安になって恐れに支配された時、彼は溺れそうになりました。「安心しなさい・・・・」の言葉に続いてイエスの「何故疑ったのか」という問いかけが続きます。

この奇跡の物語を、信じさえすればすべてが可能であるということを教えているのであるとすれば、ただ単に現実を無視した信仰至上主義でしかありません。自分たちには神が付いているからすべて自分たちに正義があり、すべてが正当化されるという現在アメリカで行われている戦争正当化、アメリカ第一主義と変わりません。アメリカの暴走がそうしたキリスト教原理主義のゆがめられた一面に支えられていることが非常に残念なことです。

では、このエピソード、どんなことを語っているのでしょうか。不安になること、疑いに心が支配されることは私たちの人生でも日常茶飯事です。日常には理解不能な不条理や、受け入れがたい現実が溢れています。子育てが思い通りにいかないのだって同じです。

そこで気づかされるのは、信じさえすれば神様は見方をしてくれ、自分の願いを聞き入れてくれるという思いは、神さまよりも自分が優先された考え方だということです。神様は信仰さえあれば自分の思い通りに願いを叶えてくれるとすれば、神さまはコントロール可能、人間の思いが優先ということになってしまいます。

私たちが不安や恐れに支配される時、どんな現実の中でも自分が愛されている、認められているという確信も揺らぎます。そしてパニックに陥るのです。

イエスは「何故疑ったのか」という問いかけを通して、私たちがどんな時にも神様に愛されている、神の目にかなった存在であるのかを心の土台としなさいと語られたのだと思います。そんな確固たる心の土台、自分は大切な存在、愛されるに足る存在であるという体験こそが、私たちが親行や保育を通じてこどもたちの心に育てていくべきもののように感じます。

こども園宗教主任   荒谷 出



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